名前
平野 甲賀 ひらの こうが HIRANO Koga
肩書
装丁家、グラフィックデザイナー
生誕
1938年
死没
2021年03月22日
エリア
東京 → 小豆島 → 高松
プロフィール
1938年生まれ。装丁家、グラフィックデザイナー。武蔵野美術学校デザイン科卒業。高島屋宣伝部を経てフリーとなる。64年から晶文社の装丁を手がける。また演劇集団黒テントの活動に長く携わる。73年「ワンダーランド」創刊。78年「水牛通信」「水牛楽団」参加。84年「講談社出版文化賞」ブックデザイン賞受賞。
出典: 『Graphic Art & Design Annual 17-18』
父の赴任先京城(現:ソウル)に生まれる。1957年 武蔵野美術大学の前身、武蔵野美術学校に入学。在学中の1960年、当時グラフィックデザイナーにとっての登竜門的存在であった日宣美展(日本宣伝美術会)において『見る前に跳べ』(大江健三郎の小説)で特選を受賞。卒業後、高島屋宣伝部に入社、その後フリーのグラフィックデザイナーとなる。 1964年から1992年の30年弱にわたり晶文社の装丁を一手に担う。ひとりのデザイナーが一社の装丁を全て手掛けるのは稀有なことであり、当時のカウンター・カルチャーの旗手であった晶文社のスタイルを作り上げ、出版会に旋風を巻き起こした。装丁の仕事は他社にもひろがり、独特の「描き文字」、躍動するデザインの装丁は現在に至るまで7000冊におよぶ。 1960年代半ばから平野は晶文社の編集長でもあった畏友 津野海太郎とともに演劇活動に参加。六月劇場、劇団黒テントを中心に演劇ポスターやチラシをつくり、舞台装置も手がけた。 1973年 植草甚一編集雑誌『ワンダーランド』のアートディレクターとなり、新鮮な誌面づくりはいまだに伝説として語り継がれている。 1978年から高橋悠治らが始めたバンド「水牛楽団」、アジア民衆文化通信『水牛通信』の活動に加わり、演劇活動とは別の表現方法を獲得していく。これはいまでも平野甲賀の根底を流れている。 2005年から2013年、神楽坂上の岩戸町に小劇場「シアターイワト」をオープン。 2014年より香川県小豆島に移住。
出典: ddd HP 展覧会アーカイブ「平野甲賀と晶文社展」
ddd との関わり
2021年 (生誕から83年のころ)
第229回 『小島武展 夢ひとつ』に企画監修、タイトルロゴとして参加
2017年 (79歳のころ)
第214回 『平野甲賀と晶文社展』に出展作家、ポスターデザイナー、ギャラリートークの出演者として参加
2011年 (73歳のころ)
第179回 『秀英体100』に出展作家として参加
2009年 (71歳のころ)
第167回 『きらめくデザイナーたちの競演―DNPグラフィックデザイン・アーカイブ収蔵品展』に出展作家として参加
2007年 (69歳のころ)
第153回 『EXHIBITIONS : Graphic Messages from ggg & ddd 1986-2006』に出展作家として参加